道場の雑巾がけから学んだと思うこと

6月 25 2014

久しぶりにアパートに帰り、家の床をいつも通りコロコロとクイックルワイパーみたいなやつ(wetタイプ)でゴシゴシこすっていると、それまで喋っていた新しいルームメイト(今月来たばかり)が唖然と立ち尽くしていることに気づき、我に返った。

 

「どうしてこんなに一生懸命床の掃除をしているのか」

 

アメリカ人の家では中も外も土足という家しかまだ見たことがありませんが、アジア人の家では玄関で靴を脱ぐところも多いようで、自宅も例外ではありません。(日本人だと靴を脱ぐか脱がないかは、上や下、中や外という感覚の境目が、神聖だとか汚れみたいな感覚と無意識に結びついているからのように思ったが、実際どうか)。特に裸足だとフロアの汚れ具合はすぐにわかります。きっと足の裏が、摩擦係数やラフネスなどのパラメタを感じることが出来るようになっていて、そのパラメタが自分が気持ち良いと感じる閾値から外れたとき、不快に思ったり汚れているとわかるのでしょう。どんな汚れも目にも見えるものですが、床の細かい汚れは人間が普段生活する姿勢からは視認しにくいので、足の裏がセンサーとして一番に働く点でちょっと特別だと思います。

ところで、剣道をやったことがある人はわかると思いますが、練習の前や後には道場を掃除します。体育館などではモップのところもありますが、伝統的に道場では足腰を鍛錬するという意味でも、ぬれ雑巾での雑巾がけが主流だと思います。最近は大人になって自分でする機会もあまりなくなってしまったので偉いことは全く言えませんが、その上で自分たちが練習をするからです。小中学の時に通っていた道場では、練習の途中でも、道場の床が汚くなると、面をつけたまま雑巾がけをさせられました。

その当時は、「道場は汚れたら掃除するもの」というようにで理解していましたが、どうやらそれ以上のことがに染み付いていることに気づかされました。素足で木の板の床を擦ると、足の裏の皮は当然厚くなりますが、それ以上に足の裏の感覚にはとても敏感になります。しばらく同じ場所で稽古を続けていれば、面をつけていても足の裏だけで床が埃っぽいかどうかわかるようになります。小賢しい言い方をすると、足の裏のセンサーが、きれいな時の質感にキャリブレーションされていく感じでしょうか。だから、小中学校の道場では、下級生は師範に「道場が汚れてるだろ!」と言われるまで最初は動けませんが、上級生くらいになると、言われる前に自分たちで気づいて勝手に雑巾がけを始めていたように思います。

中学の師範は、面をはずした時にも使えることを色々教えてくれたので、尊敬する人物の1人です。その当時、床を掃除するのは「ただそういうものだから」というような理解だけでしたが、無意識にこういうところまで訓練されるように仕向けられていたかのような気がします。恐るべし。というわけで、机は汚いほうがクリエイティブな仕事に向いているらしいので放って置きますが、床は常に閾値内に押さえたいなーと思いました。
以上


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実写のようなデジタルキャラクタ

5月 26 2014

最近色々思うところがあり、まだたった2年ですが働いて思ったことを文字に起こしてみました。
まだまだ思っていることは書き切れていない気がしますが、これでしばらくは何も考えずに研究に専念できるといいなと思います。

———

10年以上も前に日本で作られたゴジラは、手作業で作られたミニチュアセットで俳優さんがスーツを着て演技をし、口から吐く光線の照り返しの再現などもほとんどアナログな作業で行われたようだが、CG技術の進歩で色々なことがバーチャルにシミュレーションできるようになった。照明1つとっても、実写のオブジェクトをバーチャルな環境に写実的に合成する技術は、2000年代の前半ごろまでに活発に行われていて、全身の反射特性分布をとったり、生の演技をバーチャルな環境の照明に合成したり、リライティングする技術などが開発されて、今では当たり前のようになっている。新しい技術は芸術的な表現力を開放するし、芸術的表現の必要性からこの10年ちょっとの間にCG技術はものすごく進歩してきたと思う。下のTEDトークで語られているように、Brad Pittが主演をつとめた、老人として生まれ、時間がたつにつれ若返っていく主人公の物語を描いた”The Curious Case of Benjamin Button (2008)”では、80代の彼の顔をCGで描く必要があった。その必要性から、当時の俳優本人(40代)の表情をマーカーレスで高解像度にキャプチャし、表情をCGモデルに輸送する技術が生まれた。


CGの写実性を高める事は、特にクラシックな分野でもあり、最近の映画を見ると、一見もうこれ以上技術開発をやることが無いように見えてしまうから、CGの分野が色々な方面に分岐しているのはこれも理由の1つかもしれない。

ただ、さきほどのTEDトークでも述べられているように、「聖域」とも呼ばれる人の顔を”もっともらしく”作るには、特殊なキャプチャ装置やスキルのあるアーティストなどが必要になることが多く、そもそも最新の技術でも、状況(照明、動き、カメラ・・・)を限定しないと簡単に破たんする。例えば、人間は顔の表情で様々な感情を表現することが出来るから、実写の映像表現では、こういった場合、顔の表情にカメラをズームすることが自然である。だが、CGのデジタルキャラクタが、豊かな表情を露わにし、大きなスクリーンに耐えるのは簡単ではない。照明の変化や動きの激しいシーン、感情のこもった人間らしいシーンで、我々の認知システムをすり抜けて、脳にそれを「人間」だと信じ込ませられるようなCGは、多大なartisticな労力を要するか、まだ技術的に難しい。映画や物語の表現に必然的に人間が登場するように、我々は本能的に「人間」に関心があり、我々の目は人間の見た目によくチューニングされていて敏感である。例えば、眉毛が数ミリ程度動いただけで、我々は相手が悲しんでいることを察知することが出来る。対人的なコミュニケーションで、我々が顔の微妙な変化から無意識に得ている情報は少なくない。CGのコミュニティでもネタとして取り上げられる(もとはロボット工学の分野で提唱された)「不気味の谷 (Uncanny Valley)」でおおよそ共通している見解は、デジタルキャラクタを人間のように作りこめば作りこむほど、我々は実際の人間との差異に敏感になり、我々がイメージする人間との間に違和感を覚えると「不気味」に感じる。デジタルキャラクタを本物の人間のように作るためには、正確なジオメトリや、物理に忠実に光の振る舞いを再現できるモデルやデータ、運動的な自然さなど様々な要素が必要で、どれか1つ破たんしただけで、全てが破たんしてしまう可能性がある。映画などでお金を投資して作る場合は、メインのキャラクタの破綻は作品そのものの失敗にもなりかねないから、リスクも高い*。

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(GTC 2013のNvidia CEOのJen-Hsuan Huangのキーノートから)

最近は、映画でも実写のようなデジタルキャラクタが主役級に抜擢されるようになった。さっきの”The Curious Case of Benjamin Button (2008)”では、映画の最初の50分ほどのBrad Pittの頭はフルCGでできているし**、James Cameronの”Avatar(2009)”に出てくる青いナヴィ族の顔のCGの頬から下は、その俳優の顔のスキャンそのものが使われている 。ここ5,6年くらいでこういうフルCGで作られた架空のキャラクタが物語のメインキャラクタを演じる作品が増えていることは、ある状況に限っては、我々がそれを「人」だと受け入れられるぐらいに技術が進歩してきているということを意味していると思う。

 

研究をするものならば、やっていることに意義があるのかどうかは、常に頭の片隅において置かなければならない問いだと思う。CGの写実性がここまで高まってきた今、それをさらに高めることに自分は大きな意義を見出せるだろうか。大学院に出願している最中の大学4年の時に、卒業論文を書く機会を使って、自分はこれから先の何年間かを人間のCGの開発に捧げる覚悟があるのか試したことがあった。意味のないことはしたくなかったし、強い覚悟がなければ大学院の卒業すら危ういだろうと思う。だから自分にちゃんとした覚悟があるのか試したかった。正直、冒頭の問いは漠然としすぎていてよくわからない。ただ、もしそれが人や生を備えたキャラクタのために、ということになれば、少し話が違ってきそうだ。

「竿頭進歩」、迷ったら来た道を戻れというとある教えに従い、そもそもなぜこのような事に興味を持ってしまったのかを考えてみる。自分は物心着く前から絵が好きで、図鑑などに載っている動物の写真などを、出来るだけそれに忠実に描くことこそが絵がうまいことだと思い、それを誇りにしていた。ある時、同じように描きあげたライオンの絵を自慢げに父に見せたことがあった。もちろん、褒められることを期待していた。すると父はぶしつけにこういった。

「写真撮ればいいじゃん。」

・・・ 写真と写真みたいな絵の違いは何だろう。確かにそれを描写することがゴールなら写真でもいいのではないか。でも手で描いたんだから絵のほうがすごいんじゃないか・・・保育園か小学校低学年くらいの小さな頭はおそらくこのような思いで混乱した。今でも家でのこの何気ない会話の一瞬の情景が鮮明に思い出せる。

自分が中学生ぐらいの頃、すごい作品が出てきた。「マトリックス」や「ロード・オブ・ザ・リング」という映画だ。ニュースにこれらの映像が出るたびに、テレビに釘付けになり、10時間にも及ぶメイキングのDVDを買って、どうやって作られたのか学ぼうとした。もじゃもじゃの髭を生やしたピーター・ジャクソンがよくわからない英語でミニチュアや特殊メイクみたいなことを語っていた。ある先生が、良いプレゼンテーションは、その直後に相手が自然と手を動かして何かを始めてしまうものだ、と言っていたが、美しい映像で描かれた壮大な世界観や生き生きとしたクリーチャーを見て、自分も何かを作らずにはいられなくなった。その後しばらくの間、高校1年の授業中や深夜の時間はいくつかの「作品」作りに費やされた。

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 (15歳の時にその辺で手に入る材料をかき集めて作ったクリーチャー)

さきほどの父との会話から20年ほどの月日が流れ、その彼の言葉通り、今は”Image-Based Graphics”と呼ばれる、写真やビデオから対象の形状や反射特性を解析し、写実的なコンピュータモデルの生成を専門とする研究グループに従事している。今いるGraphics Labの大きなミッションの内の1つは、Photoreal Digital Character(実写のようなデジタルキャラクタ)を創ることと提示することである。前者は、コンピュータの中に存在を信じ込んでしまうようなキャラクタそのものをデジタルに作ることである。そして後者は、コンピュータの世界と現実世界の橋渡しをし、彼ら彼女らを現実世界に連れてくることである。例えば、ホログラフィックディスプレイの開発などは後者になる。Photoreal Digital Characterとは、「可能な限り実写に近い見た目や振る舞いができ、どの画角からもどの照明下でも本物のように見えるコンピュータモデル」( The results are computer-generated virtual models which look and behave as realistically as possible, viewable from any viewpoint and in any illumination conditions.)で、実際の人物に基づいている場合は、その人らしい見た目を備えているモデルである(少なくともここでは、そういうことになっている)。今の研究室を選んだ理由の1つには、発見した理論や開発した技術を実用レベルにまで推し進め、映画やゲーム会社などと協力して今までに出来なかったような新しい映像表現の創造に関われるからという理由も大きいと思う。正直こういった実装は結構時間が取られたり、学業とは関係がないからいくら時間を割いても卒業に近づくことはなく、学生としては考えものではある。だけれども、特にCGで「人」やキャラクタを実写のように作る技術は、今までに描きたかったけれども、技術的な制約によって描けなかった人の側面や世界観があるから生まれるのであり、研究や開発の先の表現にも面白さがあるのだと思う。見た目、動き、応答などが全て同時に同じクオリティでできるようになり、本物の人間と区別がつかなくなった将来には、CGで「人」を作るという探求は終わるのかもしれない。それでもこういった研究や技術開発、映像表現を面白いと思ってしまうのは、もっと人や自分自身について知りたいという欲求がどこかにあり、まだ知らないことが多すぎるからかもしれない。そして、10数年前の人たちが昔の自分に良いものを見せてくれたように、次のCG映像の発展に少しでも貢献できるように頑張ることが、今最大限に出来る恩返しだと思う。

 

*「写実的(Photoreal)」の反対は「様式的(Stylized)」で、デフォルメされたアニメのキャラクタにかわいさを覚えるように、明らかに人間らしくないデザインによって「不気味の谷」を回避することができると考えられている。ディズニーのコンピュータアニメーションに出てくるようなキャラクタは、光の挙動こそ物理的に忠実に再現されているが、顔や体のプロポーションがデフォルメされていたり、コミカルな動きによって様式化(Stylization)されている。(別にリスクを回避しようなどと考えてこのようなデザインになっているとは到底思えないが、こういう見方もあると思う。)「写実性」と「様式化」の効果などを検証したSIGGRAPH Paperなどもある。

**作品が50分ほど過ぎたところで、主人公のBenjaminが実際のBrad Pittの年齢に近づくと、Benjamin役はフルCGの頭から、特殊メイクをした彼本人に切り替わる。その直後にBenjaminが誰かから”You look different(変わったね)”といようなことを言われるシーンがあるらしい。



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ゴジラ

5月 19 2014

もしかしたらゴジラほど今までに沢山見ている連作はないかもしれない。ファンの父がとりためたベータVHSのビデオを、保育園か小学校低学年ぐらいのテープが壊れるほど見た。カラーになった「キングコング対ゴジラ(1962)」からは多分全部見たことがある。平成ゴジラの「ゴジラ対モスラ」の時は当時3歳だったが、モスラとバドラのフィギュアを買ってもらって遊んだ覚えがあるので、その辺りからは父に付いて、リアルタイムに映画館で見ている。

何がそんなに楽しみだったのだろう。保育園児が、家族愛だの何だのの映画のストーリーを楽しみにして毎回映画館についていくだろうか。幼い記憶に唯一残っているのは、ゴジラの地鳴りのような足音や鳴き声が、小さな体に走り抜ける快感や、あの青い放射能で敵をなぎ倒していく仁王のような「存在感」ぐらいだ。映画に詳しいアメリカ人の同僚に「ゴジラを見に行くか」と聞いたら、ストーリーがどうだ、監督の今までの作品が好きじゃないだのと言っていたが、自分にとってのゴジラの出来栄えは、それが本気で吠えた瞬間に身体にゾクゾクが走るかどうかの一瞬で決まると思う。以前映画館で見たのは10年以上前だから、そんなことはすっかり忘れてしまっていたのだが、ゴジラの背びれに青くにぶい光が走り出すと同時に、何かをキャッチした自分の背中にもゾクゾクが走りはじめ、ゴジラが青い“アレ”を口から吹いた瞬間、思わず興奮して”おぉ”と声が漏れてしまった。“心身”というが、大事なことは身体が先に気付いて心に教えてくれるようだ。

日本の映画館では、感情は押し殺して、静かに大人しく見るものだが、アメリカはストレートに口や動作に出すカルチャーのようで、この瞬間に反応してしまったのは自分だけではなかったようだ。いつも映画を見に行く研究室の近くのRaveという映画館には、300人以上入るであろう巨大なスクリーンのある劇場があるが、最後のシーンでは満員の劇場に拍手と笑いが響き渡った。監督のギャレス・エドワーズはゴジラシリーズの大ファンであるという前評判で、作品中に出てくる古びたケースに”Mothra (モスラ)”とさりげなく書いてあるファンサービスがあったり、渡辺謙の「Godzilla」の発音が「ゴジラ」だったり、シリーズを見たことがある人なら“懐かしい”と思うような怪獣の声だったりがあり、原作を知っている人が喜ぶような要素が散りばめられていた。

 

そもそも学部生の頃の自分の頭が捻り出した、アメリカに来た理由は、『人生は短い。自分の知らない世界や人生をもっと知りたい→映画やゲームなら何でも創れる→CGやVFXが必要→CGならアメリカ』というとても単純なものだった。中学の時に「ロード・オブ・ザ・リング」や「マトリックス」に度肝を抜かれて以来、高校の時も、予備校生の時も、大学生の時も、目指している方向は少しずつ違っても、頭のどこか片隅にCGやVisual Effectsで作られた“もっともらしい”世界観への憧れがあり、それがうまく体現されたハリウッド映画には何度もKnockoutされた。(だから自分が見る映画はCGやVFXが効いたSFやファンタジーなどの映画に偏っている。)そしてこれがあまりにも頻繁に、激しく起こるので、これはただ事ではないということに気付いた次第だ。だが、思い返すと1番先にSpecial Effectsのカッコよさを見せてくれたのはゴジラだったようだ。

ゴジラの他にも、ガメラやサンタとガイラなど、かっこいい特撮や怪獣映画を日本で見れたことはとてもうれしい。

 


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LA(カリフォルニア)の運転で戸惑ったこと・気を付けた方が良いと思ったこと

8月 16 2012

留学でアメリカに来て、あっという間に2か月がたった。海の近くに住みたかったので、オフキャンパスに家を借りることにした。ダウンタウンの大学まで通う(今の所、渋滞がなければ30-40分のドライブだろうか)ため、こちらに来て10日で車を買い、免許試験の準備をした。最近になってようやく、LAの郊外などにもフリーウェイを使って自由に行けるようになってきた。アメリカと日本の交通で気づいたことを、こちらの運転に完全に慣れて忘れないうちにまとめておこうと思う。自分が日本に帰って運転するときや、逆にアメリカに来て運転するときのリマインダ―になれば幸い。日本とアメリカで違うなと感じたことを主観的に書こうと思うが、東京で約4年前に免許を取ってからは、日本ではほとんど運転はしなかったし、渡米前に少し練習したくらいで、ほとんどペーパードライバーのようなものだったので、そのあたりはうまく差し引いて読んだ方が良いかもしれない。

  • 運転していて戸惑ったこと
  1. 赤信号でも、右折禁止が明示されていなければ右折OK。(右折がOKでも通行人がいないかどうかはきちんと確認する)
  2. 住宅街などには、信号ではなく”Stop”の赤い標識があるが、”All Stop”の場合は、4方向全部止まって、着いた人から先に発信する。なにも書いていない場合は、その方向の道路は止まっても、直交する交通は止まらないこともあるので少し注意。
  3. レーンが多い。小路や商業施設に入るための専用の左折レーンがあることもあり、たまにややこしい。
  4. 踏切で止まれとは書いていない(日本では踏切の前では一旦停止)。
  5. スクールバスが止まれの標識を出したら、止まる(これはまだ遭遇していない)
  6. 単位に慣れる。スピードはmile表現。ナビを使う場合もデフォルトがmileとfeetのこともある。
  7. 実際の走行スピードに慣れる。制限時速はあるが、日本より速め。だが、路が日本よりずっと広いので、あまり早くは感じない。
  8. “Yield”の標識は、他の交通があればそれを優先。
  • 気を付けた方が良いと思ったこと
  1. 当然だが右側通行。車がまったくいない住宅街の右折で、無意識に左側レーンに入ってしまい、通行人の親切なおじさんが、”wrong way ass hole”と教えてくれた。
  2. “Keep Clear”と道路に書いてある場合は、他の交通が入ってくる所なので、路をあけておく(結構みんな上で止まっていることも多いが、、、)。直進方向の交通が赤信号時などに、”Keep Clear”の場所を通過して前の車のすぐ後ろに停車する場合は、他の交通が”Keep Clear”の所を横切ったりしようとしていないかに気を配る。
  3. 車線変更をする時は、死角から一気に飛び出してくる車がいる時があるので、必ず目視で確認する(特にフリーウェイ)。
  4. レーンが多いので急な車線変更はできるだけ避ける。ウィンカーを早めに出して周りに知らせておくと、渋滞していても入れてくれることが多い。
  5. 右折する場合、右折レーンへの移動を早めにし過ぎない。日本と違い、車を路上に駐車するのが普通なので、右側レーンが狭くなっていることが多い。加えて、市街地では路線バスが頻繁に停車するので遅くなることが多い。

かなり細かい点もあるが、頭でわかっていても常に体がそのように動くとは限らないのが運転の難しいところだと思う。今の所思う大きな違いは、右側通行、レーンが多い(LA)くらいなので、日本で免許を持っていたらそれほど運転の心配をする必要はないように思う。運転には英語力もほとんど関係ないと思う。

追記 :
アメリカではじめてor久しぶりに運転をする場合は、目や頭をならすために、 渡米後しばらくは、こちらの交通をよく観察する期間を設けた方が良いと思う。@8/15
たまに交差点の信号が故障か何かで全部停止していることがあるが、この場合は、全方向一旦停止して、注意しながらわたっているが今のところ問題ない。@8/16

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Mont Saint Michel

5月 30 2012

レンヌに住んでいる学生に、この近くで小旅行に行くなら何処がいいかと聞くと必ず帰ってくる答えが2つある。その内の1つがモンサンミッシェルだ。モンサンミッシェルは、世界遺産にも指定されている屈指の名勝地で、フランスの観光地としてはあまりにも有名なので説明はいらないだろう。モンサンミッシェルには、レンヌ駅からバスで1時間半ほどで行くことができる。(後程写真をアップしようかと思う)

モンサンミッシェルに行くことは、出発の前日の午後に思いつきで決めた。当日はフランスの祝日で、しかも大学のロックイベントと重なったため、レンヌ駅行きのバスのダイヤとルートが 変更になり、おまけに前日よる遅くまで作業していたので寝坊してしまい、遅刻は必至だった(しかも大して下調べもしていない)。しかし、バス停で会ったフランス人の学生に片言のフランス語で話しかけると、祝日のバスの情報や、レンヌ駅までの電車の乗り方(バスの停車場所から駅までは2駅ほど電車に乗らなければならない)、予約したバスのチケットの受け取りなど親切に教えてくれ、予定通りに着くことができた。

バスは予定時刻より20分ほど早い朝11時前には着いたが、もう結構な観光客がいた。修道院に行くために誰もが通らなければならない「Grande Rue(大通り)」(と言っても、みやげ屋やレストランがひしめき合う狭い参道。清水寺に行くための参道のようなイメージだがもっと狭い。)は、世界各地からの観光客で賑わう。島内の門を抜けると、いきなり日本語の看板があるので、日本からの観光客がかなり多いのだろう。だいたい参道沿いに行くと、そのままLa Merveille(驚異)と呼ばれる修道院のメインの建物に入って(有料)、教会や回廊庭園などの見学ができる。今回は夕方のバスまでかなり時間があったので、島内の一般人が歩ける領域の大部分を歩き尽くすことができたと思う。

島内の小路散策が面白い。島内には、Grande Rueを中心に、レストラン・おみやげ屋・ホテル、修道院関係の建築が所狭しとひしめき合っているが、その間を縫うように小路が走っている。幅が広いものから狭いものまで様々だが、路はLa Merveilleを中心に島を半周するように走っている。モンサンミッシェルは、島全体を写すような構図の写真は何度も見たことがあったが、修道院の建築を近くで見るのは今回が初めてだった。この建物、見る方向によってだいぶ印象が変わるので面白い。近くまで来ると、高くそびえたつ先頭のようなものがいくつかあるので、典型的なゴシック建築のように見える(解説によると、実際はこの部分はネオゴシック様式らしい。難しい。。。)が、見る方向を変えると大分違った印象になる。

また、モンサンミッシェルの下から上まではかなりの高低差がある(たしか記憶では80メートル?)があるので、その高低差が景観を面白くする。小路にそって要所要所に庭園のような小さなスペースがあるが、そこからは色々な表情を見せてくれた。

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Doxygen+GraphvizをVisual C++で使ってみる

5月 21 2012

まず、普通にDoxygenを使ってみる。
Doxygenと以下のファイルをダウンロードする。

 

1. Doxygenを起動して、タブ「Expert」からBuildを選択。
EXTRACT_ALLにチェック。
デフォルトでは、LaTex形式の文書も生成してくれるが要らない場合は、LaTexの項目から、GENERATE_LATEXにチェックを入れて、はずしておく。

2. メニューから、File->Save Asを選択して、Doxyfileを保存する。保存先は、Visual Studioのソースコードがある場所。

3. Wizardタブをクリックして、Projectを選択。「Specify the directory to scan for source code」から、ソースコードのディレクトリを選択する。

4. その下の「Specify the directory where doxygen should put the generated documentation」から、Doxygenが生成した文書を保存する場所を指定する。プロジェクトディレクトリに、Docsなどというフォルダを作っておき、それを指定すればよい。

5. Runタブに移動して、 Run doxygenをクリックすると、ドキュメントの生成が始まる。show HTML outputをクリックすると、生成されたドキュメントを見ることができる。
クラス同士の関係や関数の呼び出し関係を図示したいときは、Graphvizが使える。Graphvizは以下からダウンロードできる。
http://www.graphviz.org/Download..php
Graphvizを使うためには、Doxygenに設定をする。
ExpertタブのDotに行き、HAVE_DOTをチェックしておく。関数の呼び出し・被呼び出し関係を図示したいときは、CALL_GRAPH、CALLER_GRAPHにもチェックを入れておく。DOT_PATHに、Graphvizのdot.exeが入っているフォルダを設定する。((例)C:\Program Files (x86)\Graphviz 2.28\bin)必要に応じて、DOT項目のその他の設定も調整する。後は、普通にDoxygenを使うときと同じように、 Run doxygenを押せば、コードの説明の中に、図が挿入されているはず。(もしかしたら、最初はWizardタブ->DiagramsからUse dot tool from the Graphviz package にチェックすることが必要かも)

参考

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Île de Groix(グロワ島)

5月 09 2012

フランスの5月は、祝日が多く、フランス人は連休を家族とともに過ごす。研究室の友人のフランス人の家も例外ではない。5月6日から8日まで、ブルターニュ地方のグロワ島にある友人の両親の別荘に、彼の家族やアメリカ人フランス人の教授らなどとお世話になった。

グロワ島は離島なので、フランス本土からフェリーに乗って行く。フェリーはLorientで乗ることができる。IRISAがあるレンヌから、 Lorientまでが車で1時間半ほどで、そこからフェリーに乗って40分ほどで着く。グロワ島は、全長直線8キロほどの小さな島(島にはガソリンスタンドも無い)だが、多くの自然が残されており、切り立った崖から望む穏やかな湾景が非常に美しい。写真をいくつか撮ったので後でアップしようと思う。ちなみにフランスでは、25歳までなら、割引が適用され、フェリーには10ユーロほどで乗れる(普通は15ユーロほど)。

5月6日は、ちょうど5年に一度のフランス大統領選挙があり、フランス人最大の関心事で話題が持ちきりだった。欧米では政治に関心が高く、日常的に政治の話題を話すというようなことを誰かから聞いたことがあったが、どうやら嘘ではないらしい。この日のフランスは、ワールドカップの試合でもあったかのような熱狂ぶりで、泣く人やはしゃいで喜ぶ人などの映像をテレビでたくさん見ることができた。この政治への関心の高さの1つの理由には、大統領選挙の場合、国民が直接投票できるので自分が選んでいるという意識が働くということがあるのではないかと思った。

レンヌでは最近は天候が安定せず、毎日くもりか雨だったが、グロワ島では朝と夜以外ほぼ晴天だった。食料は島に3っつあるスーパーマーケットのどこかでも調達できるが、2日目には海岸の岩場に行き、手長エビを狩りに行き、それを持って釣りに出かけた。魚が釣れたら、それでパエリアを作ろうという話だったが結局釣ることは出来なかった。この家族の別荘は実は、友人の両親の親のもので、結構前から所有しているものらしいが、いつかスペイン人系のフランス人を招待してパエリアを料理して以降、グロワ島に来るたびにパエリアを作るらしい。僕は火起こしから火の強さの加減調節を一任した。フランス料理は味付けはすごくシンプルだが、味が良いものが多いと思う。このパエリアもシンプルな味付けだったが、抜群に美味しかった。料理のほとんどは、友人の父が腕を振るって作ってくれたが、この他に食べたローカル料理のラタトゥイユも美味しかった。

フランス人は家族との食事の時間をとても大事にする。食事は、食前酒から最後のデザートを食べるまで1時間以上かけて食べるのも普通。友人は、レンヌでは家族とは別の所に住んでいるが、週末は両親の家に行って一緒に食事をすると聞いた。今回は、食事の準備から全員で行ったが、家族(や友人)との時間を大切にする文化は、とても素晴らしいと思う。

2,3日の短い休暇だったが、ローカルの生活や文化を垣間見て、体験でき、非常に充実した。後は、残りの期間、一生懸命働くだけである。

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フランスでのインターン

5月 01 2012

4月の27日から5月末まで、フランスはレンヌ(Rennes)のIRISA(Institut de recherche en informatique et systèmes aléatoires)という所にインターンをしている。IRISAは、CNRSUniversity of Rennes 1INSA Rennes、 ENS Cachan (Brittany site)からなるフランス政府の研究所である。フランスと言えば、Parisやモンサンミッシェルなどが観光地として有名だが、観光地化していない街や田舎をに来るのも、それはそれとして結構楽しい。観光地化は外に対して飾るという意味では、一種の”化粧”のようなものだとおもう。そうされていない田舎の街では、現地の人と同じ目線で、その街のありのままの姿に触れやすい。観光地でなくなるほど、もちろん情報もローカルな言語に限られてくるので敷居は高いが、その土地に知り合いがいたり、詳しい人がいたり、その言語が少しでもわかれば、普通の観光地に行くよりディープなカルチャに触れることが出来て一層楽しい。さらに、田舎になればなるほど、住んでいる人が親切になる傾向が あると思う。話がそれてしまったが、レンヌはそれほど大きい街ではないが、自然が豊かで、街は美しく快適である。

こちらでは、student residenceに住むことができた。月277ユーロで、トイレ、シャワー、キッチンがワンフロアで共有。こちらに来てから気づいたのだが、このresidence、男女共用だった。普通、日本だと学生寮と言えば男女別が当たり前だと思っていたので、こちらに来て少しびっくりした。寮にいる学生と少し話したところ、チュニジア、アルジェリア、中国、クロアチアなどからの学生がおり、ここでの生活についていろいろ教えてもらえた。建物は特に汚くもなく、日本で寮生活をしていた時と、住んだ感じは何ら変わりはない。3日目にして、ようやくresidenceでインターネットを使うことができたので、めずらしく筆をとってみた。

student residenceの個室

residenceの外観

研究所のメインエントランス

residenceから研究所までは徒歩で約10分程度。こちらでは、CGのあるトピックについて研究している。

研究室のメンバーのロッカーにはCGの有名な研究者の写真が…

研究室に来てみると、ドクターの学生の席の後ろにこんな写真が…。自分の尊敬しているCGの研究者の写真を貼っているらしい。幸い大学院の出願で色々調べていたり、学会でも直接見たことがあったので、一目で半分くらいはわかった。右は若手で尊敬している人らしく、日本人のあの人の写真も。

シーフードがおいしい

休みの日には、同じ研究室の学生の親の家で一緒に食事をした。カキやエビなどのシーフードを食べさせてもらったが、ビックリするほど美味しかった。カキは、北の海に面しているサンマロから来ているらしく、新鮮で何個でも食べれそうなくらい美味しい。インターンの最後には、1日くらい余暇があるかもしれないので、時間があれば、サンマロまで足を延ばしてみたい。この日は、レンヌのダウンタウンにも連れて行ってもらい、chocolat chaud(ホットチョコレート)を食べたが、これもまたびっくりするほど良かった。

レンヌの市庁舎

ホットチョコレート

次に時間があるときは、ダウンタウンを少し散策してみたいと思う。

 

 

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浜岡原子力館に行ってきた

4月 17 2012

http://luminohope.org/hamaoka.php

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